2013年2月12日火曜日

いかり石

先日、文化庁と開催館が主催する『発掘された日本列島2012』を見ました。この展覧会は、全国的に注目された最新発掘調査成果をほぼ一年かけて巡回するもので、私はほぼ毎年、愛媛に一番近い会場に足を運んでいるのですが、今年は、鳥取県立博物館で見ることができました(2月24日まで)。

一番の目的は、水中遺跡で初めて国指定史跡となった、史跡鷹島神崎遺跡の出土品を見ることでした。この遺跡は、1274年と1281年の二度にわたって、中国の元が日本への侵攻を図った、「元寇」の遺跡です。これまでの調査で、様々な関連遺物が発見されていたのですが、近年ついに元軍の船が発見されたのです。

私がその中でも一番注目しているのが、“いかり”です。当時は、木製のいかりで、それに石が装着されていました。残っている部分の大きさだけで、2m余りだそうです。この石は、角柱状で、中央が太く、両端にむけて徐々に細くなっていく形でした。この石を「いかり石」と言います。

なぜ注目しているのかといいますと、能島城周辺や船折瀬戸などで、いかり石の可能性がある棒状の石がいくつか引き揚げられているからなのです(下の写真)。角柱状の石ですが、扁平で、長さが70cmほどのものです。最近注目され始めたばかりなので、まだいかり石だと断定できませんし、もちろん時代もわかりません。したがって、様々な事例を集めているのです。



上は、宮窪瀬戸周辺で揚がった「いかり石」候補の石
下は、木製いかりの復元イメージ。ミュージアムパートナー会員作。
☆いずれも不許転載

大陸から渡ってくる船と、瀬戸内海を行き交う船が同じではないと思いますので、単純に比べることはできませんが、その構造を知るのにとても参考になりました。

村上水軍はどんな船に乗っていたのですか?という問い合わせが頻繁にあります。
将来的に、これらの碇石から船の大きさなどの手がかりが少しでもつかめるかもしれませんね。(K)

【参考文献】
文化庁編2012『発掘された日本列島2012 新発見考古速報』朝日新聞出版