2013年3月31日日曜日

能島の環境整備に出かけました!

先週、穏やかな天気の日に、能島へ環境整備に出かけました。

今回の環境整備は草刈りをしたり、枯れ枝を取り除いたりして、
能島城跡を人々に良い状態で見てもらおうというものです。

また、定期的に島に上陸することで、
破損や崩落の箇所がないかなどを目視でチェックすることも兼ねています。



















暖かくなってきて、ひざ丈くらいまで草が生えています。(南部平坦地)




















三之丸もひざ下くらいの生え具合です…(奥から本郭、二之丸の段々が見えます)



すっかりきれいに刈り取られました。




するとちょうど潮流体験船がやってきました。

草を刈ることで、能島の郭の平坦面がより強調されて、
海から見ても城として整形された様子がハッキリします。


あとは島の周りの斜面部で近年急成長しているクヌギ等の雑木を・・

まだまだ環境整備の課題は残されています。(S)




2013年3月30日土曜日

ヤマザクラ見ごろ

少し前に紹介したヤマザクラ。あれから一気に花を咲かせ、早くも散りつつあります。
この週末が見ごろですね。




最近は、もやがすごいので、写真はうまく撮れませんでしたが、ぜひ生で見ていただきたいものです。

いろいろと回ってみましたが、県道の海岸沿い、能島対岸あたりが綺麗に見えるスポットです。
サイクリングの途中で、写真を撮っている方も多くいらっしゃいました。(K)


2013年3月29日金曜日

友浦港から佐島港へ

再び、ある会議で上島町に行ってきました。
会議の場所は佐島。生名島と佐島、あるいは弓削島と佐島を結ぶ橋がかかっていますので、フェリーなどを利用して車でも行くことができますが、私はいつも高速船を利用します。

車よりも速い気がするのもありますが、何よりも燧灘の景色と海城の姿を見るためです。





佐島方面への高速船は今治港から出ており、大島では友浦港から乗ることができます。
待ち時間が少しあったので、港周辺の景観をゆっくり眺めてみました。
やはり目についたのは、港の沖にある「九十九島」(つくもしま)。(写真)
頂部が不自然にまっすぐになっているので、よく目立ちますね。

このような形状ですので、能島城などと同様に小島全体が城であったと考えられています。郷土誌などに記された伝承によると、燧灘を見張る能島村上氏の出城で、城主は東條和泉守といい、ここで太鼓を打ち、燧灘の水軍に合図をしたので、この島の別名を太鼓島とも呼ぶそうです。

詳しいことはわかりませんが、九十九島では、過去に16世紀のものと考えられる土師器の釜、鉢、甕などの破片がひろわれています。少なくとも村上水軍の時代に、人びとが九十九島を利用していたということは言うことができるでしょう。




友浦港を出港し、次の寄港地は伯方島の木浦港。さらに岩城島の岩城港へ寄港します。岩城港のすぐ近くでも有名な海城跡を見ることができます。亀山城です(写真中央)。

亀山城は、小島ではなく、瀬戸へと延び出した鼻を利用して築かれたタイプの城です。横から見るとまっすぐの頂部には神社があります。詳しは述べませんが、往時は小さいながらも優れた防御構造を持った城だったと評価されています。

1691(元禄4)年に岩城島沖を通過したケンプェルの記録によれば、「高き岩礁の上に寺社ありて、階段にて上るべし。岸辺に立てる相重なれる二個の門はその入口なること知るべし。」とあり、寺社が亀山八幡神社で、岸辺の門は鳥居であったと考えられています。

たしかに、以前調査したときに、岩礁にあけられた2個のしっかりとした柱穴がありました。これがケンプェルの見た鳥居跡だと考えられています。

このほかにも、この「城ノ鼻」と呼ばれる先端の海岸部には、能島城と同様に岩礁にあけられた柱穴が7個ほど残っています。下は以前撮影した岩礁の写真です。岩肌に窪みが見えませんか?これが「岩礁ピット」です。


岩城島に関するある記録によれば、築城は1392(明徳3)年で、城主は村上氏であったとされています。しかし、この城についても、岩礁ピットの存在は知られているものの、発掘調査が行われていないため、年代や城の役割など詳しいことはよくわかっていません。
また、岩礁ピットにしても、鳥居跡のように江戸時代のものなのか、伝承が指すように中世の時代の城に伴うものなのかは定かではありません。

このようにこの芸予諸島には、いくつも海城跡を見ることができます。しかし、発掘調査が行われたのは能島城などごく一部の代表的な遺跡に限られていて、まだまだ多くの謎に包まれています。これらに海城についても、できることなら、まずはその歴史的な価値を明らかにして、そして将来にわたって守り伝えていければ良いなと、改めて感じさせられた船旅でした。(K)


参考文献:愛媛県教育委員会編2002『しまなみ水軍浪漫のみち文化財調査報告書』など


2013年3月27日水曜日

新名所誕生?

高取山のヤマザクラが咲き始め、日ましにピンク色の密度を増しています。
じつは知る人ぞ知る、宮窪は自生のヤマザクラの名所なんだそうです。



ヤマザクラと入れ替わりでソメイヨシノが咲くという印象がありますが、近年はそうとも言えない状況で、昨年はほぼ同時期に咲いていましたね。

地元の方は気づいているみたいですが、町外から来られる方は、このみごとなヤマザクラの存在をほとんどご存じありません。
綺麗に見えるスポットはいろいろあります。カレイ山展望公園はもちろんですが、能島対岸の海岸沿いの水場あたりが私はおすすめです(上写真)。それから潮流体験船からも絶景です。

一方、能島城のソメイヨシノは昭和初期から植栽され始め、全盛期に比べればはるかにその数は減っているものの、桜の名所と呼ばれています。いまやインターネットやテレビニュースで開花情報を知ることもできるほど。しかし、このブログでも何度もお伝えしているように、ソメイヨシノの根が史跡を壊すことが明らかになった以上、古木・枯木は徐々に撤去を進め、少なくとも新たな植栽が認められることは無いと思います。これは能島城だけの問題ではありません。桜の名所となっている多くの城跡が抱えている全国的な問題なのです。

しかし、桜の名所・能島でなくなることに、寂しさを感じることはないと私は思います。その対岸には、もっともっと雄大に自生のヤマザクラが広がっている、このことを知っていたければと思います。(K)

2013年3月26日火曜日

みやくぼ浜のマルシェ&能島の水軍ツアー

4月7日(日)は、宮窪港周辺がマルシェ(市場)になります。
ぜひお越しください。詳しくは下記のチラシをご覧ください。

http://www.islands.ne.jp/imabari/bunka/suigun/topics/054/20130407.pdf



そして、急きょ決まった企画!

4月7日は、「能島」への渡船が出ます。
それにあわせて、当館学芸員の案内による能島の水軍ツアーを開催いたします!

内容は・・・
①能島城の最新発掘調査成果を現地で伝える
②ソメイヨシノが遺跡に与える影響の話
③なぜ、能島城に海賊衆が拠点を築いたかを現地で考える


午前、午後の各1回行うのですが、少しややこしいので下記をよくご確認ください。



まず午前。
これは、「いよココロザシ大学」の授業の一環でガイドを行います。
こちらは申込が必要です。

いよココロザシ大学のことや、能島の水軍ツアーに関するお問合せ、お申込みは、下記のホームページをご覧ください。

http://www.1455634.jp/fsusvles.php?ini=210&PHPSESSID=fb5b395f0bf7a5662e94dd6c7f061ac9

(午前のツアーは、当館への直接のお申込みはできませんのでご注意ください。)



続いて午後。
こちらは、みやくぼ浜のマルシェ&水軍博物館企画のツアーです。
こちらは申込み「不要」です。当日、気が向いたらご参加ください!

各自、渡船を使って能島に上陸していただき、「能島」(宮窪港ではなく)の桟橋に、14:00頃にお集まりください。
学芸員が資料を持って待っております。なお、船はピストン輸送のため、時間が決まっていませんので、14:00前後に到着する船を待って、ツアーを開始します。
若干時間が前後する可能性がありますがご了承ください。


いずれも渡船料(大人往復500円)が必要になります。
また、能島城は小さな島ですが、標高約25mの山でもあります。また潮の状況によって、海岸散策を行うこともあります。服装、とくに靴にお気を付けください。


年度末の忙しさにかまけて、更新が滞っておりました。
また2~3日に一度のペースで様々な情報をアップしていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。(K)

2013年3月20日水曜日

ミョウショウジザクラ

急に暖かくなりました。文字では伝えられませんが、大島にも春のにおいが漂ってきました。

さて、先日紹介した早咲きの桜。一つは名前がわかりました。


ミョウショウジザクラというそうです。

先日の愛媛新聞で紹介されていましたが、この桜は、1965年に新居浜市の明正寺で、新種として発見されたそうで、現在では市指定天然記念物になっているそうです。つい先日満開になったそうですね。

村上家資料の移管にご尽力された、郷土史家で今治市名誉市民(旧宮窪町名誉町民)の故・矢野勝明先生がこの明正寺から株分けをしてもらい、ご自宅の庭に植栽されたそうです。(K)

2013年3月16日土曜日

おひなさんだ~

宮窪保育園の子どもたち32人が「村上家伝来のひな人形」展を見学に来てくれました。






村上水軍って知ってるかな?

「知らなーい」

じゃあ、かいぞくって聞いたことある?

「あるー」(5人くらい)

じゃあ、「〇〇〇〇〇」は知ってる?(〇〇〇は某大人気テレビアニメ)

「知ってる-!!」(ほぼ全員)

宮窪にも海賊がいたんだよ。村上水軍は海賊なんだよ。

「知らなかった!すごーい!」

これは、むかしむかし海賊だった村上さんが大事に持っていた、古い古いひな人形なんだよ。


子どもたちに説明をするのは、とても難しいのですが、この掛け合いで、ぐっと子どもたちとの距離がちぢまったような気がします。少しは興味を持ってくれたかな。

ひな人形展を見学したあとは、3階展望室のしまなみ海道空中散歩(航空写真)で遊びました。
「保育園はどこ?」
「私のおうちはどこかなー」

最後に、せんどうさんから、折り紙で作った水軍かぶとのプレゼントがありました。せんどうさんのみなさんの活躍もあり、子どもたちも満足して帰っていきました。(K)

2013年3月14日木曜日

土佐・長宗我部氏の城

休日を利用して、高知県南国市にある長宗我部氏の居城、岡豊城(おこうじょう)跡(国指定史跡)の発掘調査現地説明会に行ってきました。

さすがは四国を代表する戦国大名、長宗我部氏の城ですね。土塁、堀切、竪堀などの防御施設が発達した立派な山城です。

今回の発掘調査は、城の南側を流れる国分川に面した「伝家老屋敷曲輪」という地点で行われていました。まずは、城の北側に位置する高知県歴史民俗資料館に集合し、岡豊城の概要を南国市教育委員会の方から説明頂いた後、説明会場へ向かいました。


写真奥が岡豊城の二ノ段、詰(主郭)あたりです。
曲輪(くるわ)、堀などの岡豊城の特徴を聞きながらの移動です。発掘現場を見る前に、城の概要が現地を見ながら理解できたので良かったですね。



上の写真は、四ノ段下の斜面と、その裾に沿ってめぐらされた「横堀」です。この急峻な斜面は「切岸」といって、簡単に登れないようにわざとこのようにしているものです。

中と下の写真は「竪堀」。斜面を谷のように溝が走っているがわかりますでしょうか?斜面に沿って、敵が簡単に横移動できないようにするなどの効果があるそうです。これがまるで畑の畝(うね)のように何本も連続しているものを「畝状竪堀」(うねじょうたてぼり)などと言います。岡豊城の斜面は竪堀だらけ。圧巻でした。



このような岡豊城の説明を受けながら、発掘現場に向かいます。初めての方でも城の特徴がよくわかるような説明をされていて、能島城の見学会を行う時の参考になりました。
  

発掘現場を上からみたところ。伝家老屋敷跡では、3棟の掘立柱建物跡や、入り口部分では、門の跡と考えられる柱穴が発見されたそうです。出土品は、16世紀後半、まさに長宗我部元親の時代のものが多く出土したそうです。一番多いのはかわらけの皿で、それに中国銭を入れた“地鎮”の可能性がある遺構も発見されたそうです。能島城でも4か所で地鎮の可能性がある遺構が発見されているので、比べながら興味深く見学しました。


発掘調査現場と見学者のようす。奥は切岸になっていて、その上は平場になっていました。先ほどの写真はこの切岸の上から撮ったものです。そして、切岸の手前に接するように、3間×3間の大きな掘立柱建物跡が発見されたそうです。

担当者の方から、面白い仮説が提示されました。この掘立柱建物が実は2階建で、なんとその2階からこの切岸の上に向かって通路がつけられていた、つまり、建物を利用した登城路が作られていた、という実に魅力的な仮説です。


確かに、この切岸の上に上ってみると、そこには尾根を遮るように 土塁が築かれているのですが、中央の一か所に切れ目がありました。説明によれば、建物を伝って上に登り、さらにこの土塁の切れ目を通って、城の詰めへ向かっていったということでした。

とても面白い発掘調査の成果を生で見ることができて大変満足でした。

能島城は同じ中世のお城でありながら、土塁も、堀切も、竪堀もありません。ほんとに簡素な縄張り(城の防御施設の配置のこと)なんだなと、改めて思いました。(K)

2013年3月8日金曜日

宮窪で一番早く咲いた桜じゃと思う

そう言って、せんどうさんがご自宅の裏に咲いた桜を持ってきてくださりました。
さっそくホールに飾りました。せんどうさんのおかげで、玄関のまわりはとても華やかです。



後日、別の桜も届きました。


どちらもソメイヨシノではないというのはわかるのですが、名前がわかりません。
ピンクの桜は、島四国の札所の辺りにあるので、「お大師さんの桜じゃ」と。

来館されるお客さんに詳しい方がいらっしゃるかもしれません。聞いてみましょう。

能島のソメイヨシノは有名なのですが、その根が何百年も残ってきた遺跡を無残に壊してしまうということが問題になっています。今年も4月6日(土)、7日(日)に恒例の「能島の花見」が開催され、能島に渡ることができますが、上陸された際には、そのことを頭の片隅において散策していただければ幸いです。

じつは宮窪の高取山は知る人ぞ知るヤマザクラの名所です。ヤマザクラはソメイヨシノよりも早く満開を迎えます。(K)

2013年3月6日水曜日

卒業を前に

昨日、松山市立味生小学校の卒業を間近に控えた6年生、約120名が来館されました。
午前中は来島海峡大橋を歩いて渡ったということでしたが、さすがに若いですね。疲れをまったく見せず、元気一杯でした。

以前、5年生が大三島少年自然の家の帰りに来館し、とても楽しかったので6年生も、ということでご利用いただいたようです。大変うれしいお話です。

事前に先生方と打ち合わせを行い、「はくぶつかん探検シート」を使って見学していただくことにしました。この探検シートは、クイズとスタンプラリーが楽しめるもので、おもに小学生を対象に配布しています。

一番の難問は、海賊たちは何をたべていたのでしょうか?だったようですが、みなさん想像できますでしょうか?ヒントは展示品の中に隠れています。ある展示品を見つけて、「これや!」と喜ぶ子どもたちの姿が印象的でした。



今日はせんどうさん3名も応援にかけつけてくれました。出来たばかりの陣羽織風ユニフォームを身にまとい、保護者のみなさんに展示解説をしたり、児童の質問に答えたりと大忙しでした。

博物館探検シートの他にも、少し難しいクロスワードパズルなども用意しています。また、これらを利用した見学に限らず、なるべくご要望にお応えできるような学習プログラムを先生方と一緒に作っていきたいと思っていますので、お気軽に相談ください。

味生小学校6年生のみなさん、ご来館いただきありがとうございました。
良い卒業式を迎えてください!(K)




2013年3月3日日曜日

水軍バリィさん七変化④ヒナ飾り


今日は3月3日のひな祭り♪

いつのまにか博物館の受付では

飾り付けがすすんで~

春めいた雰囲気になってきています!


もちろんこのヒナたちも・・・



雄ヒナと雌ヒナとお子たち?


博物館のある宮窪町周辺では、
月遅れの4月3日がひな祭りとなっています。

ということで、あと1か月はこのまま飾っていますよ♪

あと、2階のローカにも・・


2階企画展示室でも「村上家伝来のひな人形展」(~4月7日)が開催中!

博物館はひな祭り一色になっています!!(S)