2014年1月31日金曜日

宮窪の特等席

1月下旬にも関わらず、小春日和の日が何日かありました。

能島での発掘調査も残すところあと 2ヵ月余りとなり、この風景を毎日観察できるのもわずかとなってまいりました。


能島城跡の雑木伐採も進み、周辺からの眺めだけではなく、能島城からの眺めも素晴らしいんです。

発掘調査の合間、お昼休みは南受けの暖かい所で、一休み。

発掘調査に従事してくれている作業員さんの中には、おのおの、日当たりのよい場所でお昼寝。

私にとって、この季節。宮窪の特等席はココ↓↓です。(D)

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2014年1月29日水曜日

28日7時25分の能島城

体感ではおそらく1~2℃だったでしょう。
ガチガチに凍った車のフロントガラスにお湯をかけるために外へ。
すると・・・


天空の城・竹田城とまではいきませんが、海上でありながら雲に浮いているかのような光景。
寒さを忘れてしばらく眺めてしまいました。

ああ、カレイ山で見たい・・・。でも、登っていたら遅刻だな・・・。

(K)

2014年1月27日月曜日

鵜島ダック part 2

先日、能島の東部海岸に鵜島ダックがまたご来島。

前回のブログはコチラ ↓
http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post_13.html


いつものように調査トレンチのシートをめくり、遺構状況の写真を撮る準備をしていた時、何気なく東部海岸を見るとアヒル達が、いつものポイントでお食事中。

前回も、ちょうどこれぐらいの潮時に来ていたので、ちゃんと体の中に潮汐表がインプットされているのでしょう。


この時の潮の流れは引き潮。でも比較的穏やかでした。私たちが能島に上陸して、気づいたのが、朝9時頃。

以前のように3時間ぐらいゆっくりして、鵜島にかえるのかと思いきや。。


ちょうど私たちが調査トレンチの写真撮影をする直前。列をなして鵜島ダック艦隊が、島を離れていく様子。あわてて、望遠レンズカメラで撮影するも木の影で撮影できず、急いで東部海岸に降り立ちました。そのtimeはわずか1分ほどの出来事。
コチラは今回鵜島に帰還した時のアヒル達の航路。
やや強くなり始めた引き潮をもろともせず、直線的あっという間に対岸の鵜島岩礁近くに移動。
私たち人間が泳ぐよりも早い??




途中、地元の漁師さんたちの船にぶつかる危険性もありましたが、
なんなく通過。もう一隻の漁師さんは何かアヒル達に話しかけているような様子でしたよ。。

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その後、観察を続けると縦一列で鵜島の岩礁を添うように移動。
岩場の鼻を大きく急迂回し、そのターンの姿は伊予水軍の末裔「名参謀 秋山真之」が「能島流水軍戦法」などの古文書を参考に考案したとされる「丁字戦法」のようにも見えました。
コチラは以前、帰還した時の航路の様子。
前回は満ち潮でしたので、今回とは違いますが、ちゃんと潮の流れを読み、海を安全に航行していることが上から見るとよくわかります。


この日の東部海岸は、だいぶ引いてきていました。良質なヒジキが多く岩礁表面に生えているにも関わらず、海中にずっと頭を入れっぱなしにしていることから、アオサなどの海藻を食べているのでしょうか。そのスポットは東部海岸の中でも限られています。


鵜島ダックたちは、きっと潮と天候を見計らい、ちゃんと計算して能島に渡って来ているのでしょう。

この日、博物館からの帰り道、もっとすごい珍獣と遭遇しました。その名は「イノシシ」。宮窪のど真ん中を走る国道でも、仕切られた歩道を颯爽と石文化公園方面へ歩いてましたよ。

写真を撮るにもETC割引の時間帯には間に合わないので、ドライブレコーダーに撮影されているものだろうと信じ込み、そのまま帰ってしまいました。後で確認してみると、私の驚いた声だけで、残念ながら真っ暗。。

ゴールデンレトリバーの成犬ほどの大きさで低重心。しかも光る牙付。あれはブタではなくイノシシだったのでしょう。

宮窪は、鵜島ダック宮窪ネコなど愛嬌ある動物たちがたくさんいる自然豊かなところです。皆さんもぜひ博物館に来られる間、宮窪のまちなかを散策してみてください。(D)

2014年1月23日木曜日

能島城内通路に 轍(わだち)? それとも溝?

今年も能島城最後とみられる発掘調査が進んでおり、今年3月までの事業なので、最後の追い込みにかかっています。


合計10箇所のうち7箇所は調査に着手していて、残り3箇所の調査区設定と詳細な調査、記録作成作業が主な内容です。


今年は補助金の関係で、着手が遅れ、例年に比べ雨が多いこともあり、慎重かつ迅速に調査しないといけません。時間切れが一番困りますからね。。


こちらは以前紹介したブログ(東部海岸の大穴から伸びるとみられる登城路)
http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post_25.html に設定したトレンチです。

まだ調査中なので、小さな写真でしかご紹介できませんが、赤い点線の部分は傾斜しながら伸びる通路の跡と考えられています。


この斜面に限らず、能島の岩盤は非常にもろく崩れやすい花崗岩です。でもちゃんと通路側面の岩盤をほぼ垂直、人為的に加工しています。

通路幅は約60cm~70cm程度の大人1名が通過できる程度の幅でしかありません。これは能島三の丸 船溜まり周辺で確認されたトレンチでも、同じような幅の通路が確認されています。

この通路の土層堆積断面を見ると、まだ下に岩盤があることがわかりましたので、この状態にて写真撮影、平面図作成・標高レベル記入の後、少しずつ掘り下げてみることにしました。


すると、このようなイタリアは2000年前のポンペイ遺跡で確認されている轍(わだち)のような遺構が姿を見せ始めたのです。




 上から見ると、轍のように見えますが、実は右と左とでは底面の高低差があり、車輪としては無理があります。しかも、先行する土層堆積断面から見ても上下関係(右側の溝が先に埋まっている状況)を見ると、その可能性は極めて低くなります。

一瞬、在来馬である野間馬などの小型馬を動力とし、重い荷物を運ぶ車輪があったのではないかと想像しましたが、そうではないようですね。


 溝のようにも見え、下段の溝はわざと切立てているようにも見えます。但し、両側の壁の断面を観察すると元々の溝幅はごく狭く、現状でも少し歩くだけで、岩盤が砂状になるほどもろい地山です。これら現状を踏まえると、傾斜の低い方の岩盤が崩れた可能性も考えられるのではないでしょうか。
 
上写真の丸いピットは直径約25cm、深さが約60cm。比較的大きくしっかりとした丸底タイプです。このピットは下段の溝が1層分埋まった後、掘りこまれたものですので、上段の浅い溝? と同時に使われていた可能性も少なからずあるわけです。
 
作業員さんの説では丸太状のものを半載(半分)し、それを止めるためのピットではないか?という意見も出ていましたよ。
 
それにしても比較的深くしっかりしたピットをそれだけのためにわざわざ岩盤を掘削する必要があったのか? 疑問が膨らみます。
 
能島城では、このように通路上通路の傾斜側面に排水溝のようなものとピット http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html が確認されています。
 
他の海城や山城に類例 があるか調べてみないといけませんね。
 
 
こちらは、次に設定するトレンチ。南部平坦地から見た状況ですが、小さな平坦面が上部に向かって上がっているように見えませんか??
 
※こちらに掲載している写真は、1/23 現在調査中であるため、転載はご遠慮願います。  (D)

2014年1月19日日曜日

冬の能島。島から城へと変貌中!

毎朝1ケタの外気温度にも次第に慣れてきて、つくづく陸よりも海沿いの方が暖かいことに気づき始めました。



冬まっただ中で、広葉樹の木の葉はすべて落ち、枝が多くあったのですが、伐採が進み、御覧のように城として丸見えの状態になりつつあります。


本丸・二の丸・三の丸・出郭の水平ラインが遠くからでもはっきりとわかる状況です。

能島の整備事業は平成30年まで続けられる予定で、本年度(平成25年度)は最後と思われる発掘調査(城内通路の把握を目的とした調査)と、3か年計画で予定されている雑木伐採整備事業が主に行われています。



今年、実施する部分は最も本数が多く、面積も広い宮窪側。

                    伐採終了時、黄金色に輝く能島。
 
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 『変貌した能島


 
 こちらは伐採中の作業状況。


大きなクヌギの木は傾斜のきつい所に多く茂っているため、伐採作業はとにかく大変な作業です。


能島周辺は潮流の流れがとても速く、周辺で漁をされている漁師の方がいらっしゃるので、大木を海に落とすということはできません。

すべて、検出された遺構能島の花見にかかせない桜の木影響がないよう、慎重に伐採を行い、ワイヤーで釣り上げます。

人力で行うため大変な作業なのです。。

 
こちらは伐採前の能島。島としてはわかりますが、城としてはわかりにくく、どう見ても普通の島にしか見えません。。
 
◎伐採前の樹種調査はコチラのブログ↓

伐採後、木々は搬出され、能島内をちゃんと整理します。

今年4月の能島の花見は遠くからでも、能島城内からもきっときれいに見えるに違いありません。(D)

2014年1月16日木曜日

村上水軍ゆかりの地 探索 Vol.2

年末年始にしては比較的暖かく過ごしやすい元旦となり、大分県天ケ瀬温泉でゆっくりしたものの、この日は一路博多を目指しました。

この日のお目当ては、「博多の長浜ラーメン」。

繁華街の福袋も気になりましたが、急遽進路を西から東に変更し、地元漁師さんの産地直送市がTVなどで一躍有名になっている「道の駅 宗像」に夜中着陣。

ここは玄界灘からの季節風が強く吹き抜けるところで、この日も大きくハンドルを取られるほどの横風でした。

本日休館日の看板が気になりましたが、翌日朝になってもあまり人が集まってきませんでした。
結局、この日は休館日のようで、格安の食材GETには至らず、あえなく帰路に。。


広島経由で帰りますので、門司港のクラッシックな建物を横目に、関門トンネルをくぐります。


その昔、よく訪れた街で、門司から下関まで歩いて渡れる海底トンネルがあるところでもあります。


 
 
そのままトンネルを潜り抜け、長州は誉れ高い湯田温泉にGO。

山口県は歴代の首相を多く送り出している土地柄なのか、一般国道が四国では考えられないほど自動車専用道路として整備されています。

私のようにのんびり走りたい人間には、有料高速道路よりもとっても走りやすく安心感があります。

湯田温泉でマッタリした後、
目指すは訪れたことのない長州は周防大島。

ここは能島村上氏の海賊王「村上武吉公」終焉の地です。

地図で見ると細長い島で、実際に走ってみるとかなり距離感を感じるところです。所々ビーチがあり、夏場などは瀬戸内リゾートと化する場所なのでしょう。


下調べもせずに標識や感を頼りに狭い街路をうろうろと散策します。
バス停と「村上武吉公記念碑」の看板を見つけ、やっとのことでたどり着きました。
その場所は内入(うちのにゅう)地区の元正寺に所在します。


前に広がる島は能島に比べるとかなり大きく見えますが、鯛崎島・能島・鵜島となんとなく面影があるところです。

私は宝篋印塔に詳しくありませんが、風格や墓台や墓壁など、歴史を感じさせるしっかりとした造りであることに武吉公の偉大さを痛感させれられました。

その昔、自営の手伝いの傍ら、南北朝から戦国武将好きな父に無理やり連れまわされ、墓巡りした記憶がよみがえってきましたよ。。

このあと、ナビの地図を見ると、島のトン先に陸奥野営展示と書かれている場所があり、行ってみることに。。

高台の上に、多くの乗組員とともに原因不明の爆沈を遂げた帝国海軍の戦艦陸奥の引き揚げ部品が野外展示されていました。艦首・副砲・スクリューなど。


職業柄、鉄そのものを保存処理等行っているのか心配してしまいますが、純度の高い「陸奥鉄」なので心配は無用なのかもしれませんね。。

 
高台から下を眺めると資料館らしき建物が…
夕方近く、閉館時間ギリギリ前に飛び込み入館しました。時間はあまりありませんでしたが、じっくり見てみたい内容のものが多く展示されています。


野外には、海上自衛隊の退役飛行艇が展示されています。


実は私、レシプロエンジンを有する飛行機が大好きで、しかも4発タイプのものをこれだけ近くで舐めるように見渡すことができるのは初めて。大変感動しました。


特に水陸両用の飛行艇は大好きで、日が暮れるまでずいぶん眺めていました。

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ここは日本一小さな「なぎさ水族館」や野外キャンプ地もあり、3組の家族連れやライダーの方が颯爽とテントを張り、通が好む冬キャンプを堪能されていました。

今後の進路をナビと対話すると
 
 
自宅のある四国まで、目と鼻の先まで近づいていることに気が付きます。
 
勝手気ままで計画性のない旅好きな私は、当初予定していた広島周り(しまなみ海道経由)の帰路をあきらめ、より楽な海路を選びました。
 
近くの伊保田という港から、一日4便ほど愛媛県松山市の三津浜港までカーフェリーが就航していることをネットを頼りに乗船予約。
 
 
この船は山口県柳井市から途中、寄港する船のようで、乗船時はバックで侵入します。(バックでの乗船は初めてです)。
 
最短ルートで愛媛に帰ってきましたが三津浜は武吉公因縁の地。なんとも不思議な気分です。
 
新年になって当水軍博物館内を改めて見回ってみると、武吉公の次男 村上景親公の墓地も同じ、周防大島に所在することを知ってしまい、ろくに下調べ(勉強)をせずに気ままな旅を続けてしまった自分に対する後悔の念がありました。
 
周防大島は、伊予大島の約3倍の大きさがあるようで、次回訪れた時は毛利家とゆかりの深い防府市内の散策も含め、より計画的な旅にしたいと思います。
 
今年の年末年始も休みが取れれば、温泉地巡業と史跡巡りは行ってみたいものです。(D)

2014年1月12日日曜日

村上水軍ゆかりの地 探索と温泉巡り Vol.1

温泉が恋しくなる季節となり、年末年始の長期連休を利用させていただいて、毎年恒例の温泉地巡礼旅に行ってまいりました。


とりあえず紅白が始まるまで、まだ巡回したことのなかった別府八湯を巡回。
一部の市営温泉では、年末年始と春休みのみ無料入湯の所もあります。


一番多く通ったのが、伊予の守護 河野氏とゆかりの深い一遍上人が開いたとされる鉄輪(かんなわ)温泉のど真ん中に位置するココです。

とにかく内部が広く、滝のような打たせ湯が20基近く配備され、全身をマッサージできます。中庭を散策するとこのような喉を潤す設備もあります。


別府温泉の源泉温度は90度以上ということで、特産の竹を利用した源泉の冷却方法が知られています。

必ず立ち寄り食するものは大分名物「とり天」。九州味のラーメン店などなど。。



3日ほどマッタリゆったりさせていただきました。
が、さすがに温泉に入りすぎもすぐ眠くなり、「村上海賊の小説本」もなかなか前進しません。。


今回の年末年始は、比較的暖かい日が多く、山間部の道路凍結の心配がないため、元旦の湯始めの後、湯布院を越え、一路天ケ瀬温泉へ。。


ここは別府と違い、今治の鈍川温泉と同じアルカリ性のPH濃度が高い美肌の湯です。

天ケ瀬温泉に到達する手前、大分県玖珠町に入ってきました。


この地は、来島村上家が江戸末期まで豊後森藩1万4千石を切り盛りした所です。
恥ずかしながら私はまだ一度も訪れたことがありません。ネット情報を頼りにしても土地勘がなく、街中を何度も周回することに。。


中世の山城のような地形を頼りに、ナビの地図と照合。
山の中腹にある赤と白の陣旗を目指し、菩提寺「安楽寺」を尋ねました。このあたりはお寺がたくさんあり、2件ほど訪れたところ別のお寺で、詳細な地図がなければ、私ではいとも簡単にたどり着けません。。


ここは改名した「久留島家」初代康親公から十三代通簡公までのお墓が集積されています。ただ順番よく並んでいるわけではないので、解説板がないと誰のお墓かわかりません。玖珠町教育委員会さんの解説板はとても丁寧でわかりやすく設置されていました。

-過去の関連ブログはコチラです。-

◎ 久留島家ゆかりの地、玖珠町からのお客さま
  http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/11/blog-post_16.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて①-豊後森藩主・来島康親-
   http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/11/blog-post_29.html



このお墓から赤と白の陣旗が翻る「つのむれ城」がよく見えます。その旗に刺激され、地元の人の情報を頼りに登城口である末廣神社へ。。

元旦そうそうでしたので、初詣客がたくさん参られていましたね。

まずこの階段に閉口気味。。


途中、立派な穴太積(石垣)や懐かしい石垣の解体調査状況も見ることができました。


やっとのことで本丸へ登頂。結構な面積規模を誇る本丸です。展望台に近寄るとどこかで見たような風景が広がります。

-過去の関連ブログはコチラです。-
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて②-国史跡 角牟礼城跡-
     http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて③-三島神社と栖鳳楼-
     http://suigun-staff.blogspot.jp/2012/12/blog-post_11.html
◎ 久留島家ゆかりの地を訪ねて④-国指定名勝旧久留島氏庭園-
   http://suigun-staff.blogspot.jp/2013/01/blog-post_24.html 
  


数年前に、今治市波方町養老という所の発掘調査を行ったのですが、そこも周囲を山に囲まれた谷で地形や風景がどこか似ているんです。

そう今治市波方養老は、来島村上氏の隠居屋敷があったと伝わる「養老館跡」が所在します。もしかするともともとの故郷を偲んで陣屋の選定を行ったのでしょうか。

登城の帰り道、天ケ瀬温泉の湯が恋しくなってきました。。(D)