2015年3月24日火曜日

せんどうさん研修旅行in竹原市①


“せんどうさん”こと村上水軍博物館ミュージアムパートナー(ボランティアスタッフ)の研修旅行を開催しました。年に1度のバス旅行です。

この研修の目的はおもに3つ。
①村上水軍ゆかりの地をめぐり、知識を深めていただくこと。
②各地で活躍するボランティアの活動を視察すること。
③会員の親睦を深めること。

自己学習とともに、日常の博物館活動に活かしていただくための研修です。
今年の目的地は、広島県竹原市。
NHKの朝ドラ『マッサン』ブームに乗って・・・、というわけではありません^^

竹原市は、関ケ原合戦の前に村上武吉・元吉父子が毛利輝元の命を受けて、居を構えた場所。村上元吉の墓とされる石造物など関連の文化財が残っています。

さらに『村上海賊の娘』に登場する小早川隆景の家臣、乃美宗勝が城を構えた場所でもあり、宗勝さんの菩提寺で、肖像画を所有する勝運寺や、お墓と伝わる宝篋印塔があるのも竹原市なのです。『村上海賊の娘』の大ヒットで、竹原市にも多くの歴史ファンが訪れているそうです。

午前中はその乃美宗勝ゆかりの地をめぐる旅。竹原市の忠海周辺の散策です。

 
 
今回はしまなみ海道を利用してバスで移動しましたが、忠海港は今治市大三島(北端)の盛港から船で最短約20分。じつはとても近いのです。武吉と元吉は、能島を離れて九州へと行きます。その後、日本海側で暮らしたこともありましたが、豊臣秀吉の死後、毛利輝元の命で広島城近くに帰り、その後竹原へと移ります。能島のすぐ近くまで帰ってきていたのです。
 
忠海港近くの広場に到着。そこで待っていてくださったのは、忠海地域文化伝承協議会の新本さんほか2名の方でした。当館のボランティアスタッフが研修で訪れるのを聞きつけ、ご案内をしますよ、と、わざわざお電話をくださりました。とてもありがたいお話です。
 
最初の目的地は乃美宗勝の居城と言われる賀儀城(かぎじょう)です。
ちなみに『村上海賊の娘』の作者、和田竜先生がお好きな城は、能島城と賀儀城なんだそうです。
 
賀儀城は、忠海港から歩いてすぐ。瀬戸内海につきだした鼻の頂部を城郭化した「海城」です。似たような景観は、芸予諸島でもよく見かけます。例えば、岩城島の亀山城跡。

賀儀城跡。西側から撮影。城跡の向こう側が忠海港。
岩城島の亀山城跡。同じように瀬戸に突き出した鼻の頂部に城が築かれています。
 
賀儀城には、郭(くるわ)と呼ばれる城の平坦地が大きく3つあります。
東側の一番標高の低い小さな郭が3、その西側に2、そして鼻の先端に1と番号が付けられています。
 
郭3から説明を聞く参加者を望む
郭2。この向こう側に下りたところに郭3。先端の土盛は、土塁の痕跡だそうです。
能島城には土塁は確認できないので、海城でも特徴が異なりますね。
郭1。城の頂部です。能島城のようにソメイヨシノやクヌギなど大きな木はなく、
低いマツとウバメガシが目立ちました。
 
この日はあいにくの天気でしたが、賀儀城からは、松山方面、芸予諸島方面が一望できるそうです。乃美宗勝は、毛利・小早川家と村上家をつなぐキーパーソンでした。この場所から芸予諸島はもとより瀬戸内海をめぐる情勢を眺めていたのでしょう。
参加者は、新本さんのお話を熱心に聞きながら城跡を散策しました。
 
 

 
 
新本さんのご案内で、次に訪れたのは勝運寺。乃美宗勝さんの菩提寺です。
乃美宗勝さんのお父さんは、浦家の養子になっていましたが、旧姓である乃美を名乗っていました。そこで宗勝さんも乃美を名乗ります。
 
勝運寺には、乃美宗勝さんの肖像画が保管されています。写真は掲載できませんが、この日は、ご住職様のおはからいで、特別に参加者に見せていただけました。実物を見られると思っていなかった私Kも大変感動しました。ご住職様からは丁寧に説明もしていただき、美味しいお茶までごちそうになってしまいました。
 
宝篋印塔の左側に見える、海に突き出した鼻が「賀儀城」
 
勝運寺に隣接する墓地には、乃美宗勝さんのお墓と伝わる宝篋印塔があります。
宝篋印塔が望む先には賀儀城と瀬戸内海。
雑誌などで時々見るこのアングルの写真。ぜひ自分でも撮ってみたかったので、大変満足です。空と海が綺麗に見えるときに、また来たいと思いました。
  
賀儀城から勝運寺までは歩いて移動しましたが、途中、JR呉線の踏切を渡ります。
その時の出来事。ガイドの方が大声で叫びました。
 
「マッサン列車ですよ!」
 
 
 
シャッターチャンスを逃して申し訳ありませんが、この列車は、「マッサン列車」なんだそうです。
竹原市は、『マッサン』のモデルとなった竹鶴政孝さんの出身地。その効果もあり、竹原市は盛り上がったいるそうです。
 
忠海周辺を散策した後は、竹鶴酒造などがある町並み保存地区(竹原市重要伝統的建造物群保存地区)の周辺に移動。いよいよ村上元吉の墓と伝わる石造物が残る鎮海山(ちんかいざん)へ向かいます。
 
K