2015年3月28日土曜日

せんどうさん研修旅行in竹原市③

乃美宗勝ゆかりの忠海、村上武吉・元吉ゆかりの鎮海山を散策して、次に向かったのは長生寺でした。


どこかで見た家紋・・・。そう、いわゆる「折敷に縮三文字」の紋で、大山祗神社の神紋、そして伊予の大名河野氏と来島村上氏がこの紋を使用しています。

それもそのはず、この長生寺は、河野氏最後の当主・河野通直(幼名は牛福丸)の菩提寺なのです。湯築城を本城とする河野氏は、永く伊予の大名でしたが、豊臣秀吉が四国を平定すると、伊予は小早川隆景に与えられます。その後、秀吉が九州を平定すると、小早川隆景は九州へと国替えになります。小早川隆景のもとで道後にとどまっていた河野通直は、この時、竹原に渡り、ほどなく24歳の若さで亡くなりました。小早川隆景が、河野通直の菩提を弔うために建てたのがこの長生寺と言われています。

長生寺に隣接する墓地には、河野通直の墓と伝えられる石塔が残っています。


いわるゆ宝篋印塔の基本構成は、上から、相輪、笠、塔身、基礎の4つの部分からなります。尾道から今治にかけてのしまなみ海道沿線では、基礎と塔身の間に請座と言われるパーツが入る場合もあり、これを越智式などと呼ぶそうです。しかし、この写真を見ていただいたらわかるように、この石塔は特殊で、宝篋印塔の「笠」の部分が重なった状態です。なぜでしょうか。


江戸時代の記録によると、元々の墓塔が山崩れによって埋まってしまったそうです。そこで、通直の墓石が埋まっているあたりから発見された墓石を重ねて、供養塔としたという話があるそうです。

石造物に詳しいせんどうさんK島さんとО田さんに解説をしてもらいました。長生寺からは、村上武吉・元吉ゆかりの鎮海山が良く見えました。

次に訪れたのは、国指定の文化財になっている竹原の町並み保存地区。正式には「竹原市重要伝統的建造物群保存地区」です。
この町並み保存地区には江戸時代から昭和にかけての建築物が建ち並び、その変遷も見ることができます。竹原は、近世以降に入浜式塩田を導入して栄えました。作られた塩は全国へと送り出されます。このことによって廻船業も発展を遂げました。この町並みは、これらの産業に携わった人々によってつくられていきました。

竹鶴政孝さんの生家 『竹鶴酒造』


右の建物は歴史民俗資料館。昭和初期に図書館として建てられた洋風建築です。
あちこちに竹細工。
竹細工で覆われた公衆電話

町並みの見学の際、観光協会のガイドさんに解説をお願いしました。
約1時間30分。終始、流暢な竹原弁?で、わかりやすく、なじみやすく解説してくださりました。
能島城のガイドを行うせんどうさん男性陣は大いに刺激を受けたようです。
わしらも宮窪弁で・・・いや、宮窪弁でガイドをすると、おこっとるように思われらい・・・。
心配をしていました^^

せんどうさんの女性陣は、町並みのあちこちで飾られていた竹細工や、手作りひな人形を興味津々でした。博物館に飾る新しい作品の構想でも練っていたのでしょう。

充実した町並み散策でしたが、少しだけ気になったこともありました。
参加者の何人か同じ感想を持っていましたが、それは町並み散策の多くの観光客がいる中で頻繁に車が通ることです。平日だったので、業者さんの車などがとくに多かっただけなのかもしれません。実際に保存地区の中で生活や商売をしておられる方が多いので、仕方がないことというのは理解できました。ただ、ふと現実に、ふと現代に戻ってしまう瞬間が少しもったいない気もしました。

そのような感想も含め、今回の研修は、内容が盛りだくさんで、充実した研修旅行でした。自己学習にとどまらず、今後の博物館活動に活かすことのできる内容であったと思います。

そしてなんといってもよく歩きました。
万歩計をつけていたせんどうさんのK島さんによれば、この日は12000歩。
70歳以上のせんどうさんが多いのですが、みなさん元気によく歩いたなとびっくりしました。

この元気が活発なボランティア活動に結びついているのでしょうね。
楽しめる範囲でもちろん結構です。せんどうさんのますますのご活躍を期待しています。

当館のせんどうさん活動に興味がある方は、ぜひ博物館をおたずねください!

(完)

K