2015年10月20日火曜日

世界記憶遺産と村上海賊 其の壱 


10月10日未明、嬉しいニュースが我々のもとにまいこんできました。

「東寺百合文書」がユネスコの世界記憶遺産に認定されることが決定したのです。(バンザイ)


今回、世界記憶遺産への認定が決まった「東寺百合文書」とは??

―京都の東寺に伝わった古文書で、その数は鎌倉・室町時代のものを中心に25,000点にも及びます。江戸時代に加賀藩(現在の石川県)の殿様が百個の桐の箱を寄付して、それらに納められたことから「百合文書」と呼ばれてます。現在は京都府立総合資料館で保管されております。

あれ??京都のお寺に伝わった古文書??

村上海賊と関係ないやん!!

そう思われた方々もおられるでしょう、、、


しかし、実はこの「東寺百合文書」、、、

村上海賊にとって記念すべき古文書なのです!


何が村上海賊にとってメモリアルなのかと申しますと、、、

古文書に村上海賊が初登場するのが、この「東寺百合文書」なのです!

少し小難しいお話になりますが、、、
 ※読むのが面倒な方は字が大きくなるところまで読み飛ばして下さい
歴史学では、後になって書かれたものよりも、同時代に書かれた手紙(古文書)や日記(古記録)のほうが、その情報が信頼できることから、重要視されます。
後の時代に書かれた系図などの情報も、同時代の手紙や日記から裏付けられなければ歴史的な事実とは見なせないのです。

村上海賊も、後に書かれた系図には、南北朝時代の人物が書かれていますが、残念ながら、同時代の資料でその存在を裏付けることはできません。


そんな村上海賊が、同時代の資料で初めて確認できるもの―

そう、村上海賊が歴史的事実となった瞬間、、、

村上海賊にとって、記念すべき古文書が、「東寺百合文書」には含まれています!!
時に、1349年!!世の中は南北朝内乱!!

こんにちは!!村上海賊!!



ということですので、

村上水軍博物館も、「東寺百合文書」の世界記憶遺産認定を心より祝福します!!

















記念パネル展示、始めました!

ところで、なぜ京都のお寺に伝わった古文書から村上海賊のことが分かるのでしょうか??

その理由は次回以降説明させていただきます!

to be continued!

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